毒書ノート
私のモーツァルト(FM選書44)
これは昭和51年に他の出版社から出た本の復刻版だ.古い本だけに
戦前/中の話が出てくる.
例えば小倉
朗って1916年生まれの作曲家が子供の頃従兄2人と庭で三角ベースゴッゴをしていた時,叔母が縁側で手回しの蓄音機でアイネクライネをかけてくれた.
一瞬庭の光が変わったような気がして毬を投げ出し蓄音機のそばに腰を抜かしたように座り込んでひたすら音楽を聴いた.以後
数限りなくモーツァルトを聴いたが,この時の衝撃を忘れることが出来ないとある.
これで思い出すのは少年カザルスが誕生日祝いにお父さんに大人のチェロを買ってもらうのに楽器屋に行った時例のチェロ組曲の
古い楽譜を見つけてウットリして抱きしめたと自伝にあった.
こんな幸せな音楽との出会いが出来たのは偶然だけでなく音楽が評論家に汚されていなかったからだ.評論家の講釈を読んでこれ
らの曲を聴くとこんな出会いができる訳がないだろう.
この本の多くはそんな評論家の講釈とは無縁な幸せなモーツァルトとの出会いの記録だ.
今日では多くの音楽が評論家の講釈で汚されているからこんな音楽との幸せな出会いは難しいが,それでも多くの人がその汚れか
ら逃れて幸福な音楽との出会いがあれば良いと思ってる.
これも私のモーツァルトにある話
奥野
健男は戦争中自分は戦死するだろうから少しでも芸術を知っておきたいと本を読んだり勤労動員の合間や空襲の最中でも手回しの蓄音機で音楽を聴いた.
5月の空襲の翌日国電が止まったが日比谷でコンサートがあるので3時間!かけて歩いて行った.
日比谷公会堂に着くと演奏者罹 災の為公演中止の張り紙.
あきらめきれず周りの人と音楽の話をしていると腕に包帯を巻いた女性バイオリニストがバイオリンをかかえてやって来た.
昨夜空襲で家が焼け落ちたが,持ち出したバイオリンを持ってやって来たと.
皆で拍手をして演奏を聴いた.命がけの街角コンサートだ.これも評論家の講釈を超越した世界だ.
ピアニストの宮沢明子も私のモーツァルトに書いている
宮沢が生まれて初めてモーツァルトを勉強したのは8歳の時スペインから来た修道女のマドレー先生からだった.
楽譜が読めない宮沢,スペイン語しか話せないマドレー先生との間で楽しいピアノの語らいがあったと書いている.
マドレー先生は長調は明るい曲で短調は悲しい曲です等と音楽をああだこうだと型にはめなかったし,「音楽を言葉で語る事は無
意味です」といつも言っていた.
昔ここを読んだ時自分の音楽に対する考えと同じだ.なぜこの考えが広まらないのだろうか? そうすれば皆が音楽そのものを楽
しめるようになるのにと不思議だった.
でも考えてみればマドレー先生みたいな人は黙って音楽そのものを楽しんでいるから静かだが,音楽を言葉で語るのが好きなやつ
はそうするから五月蠅い.
これは自然現象みたいなもんで仕方がないのだと気がついた.(笑)
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